ネガティブな発信

Xをはじめ、自分に向けられたものでないとしても、否定、批判、悪口、嘲笑・・・とにかくネガティブなことが気になってしまう。

これらは一意見として発信すべきだ。そもそも多様な意見が何のしがらみもなく自由に流通しているのは健全なことだ。

ただ、単にある一面だけを取り上げた悪いことを指摘しているだけのネガティブな発信は思考停止の自慰行為であると言わざるを得ない。

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近況報告(24/5)

おはよう!

みなさまお疲れ様です。rpaka(あるぱか)です。こちらはなんだかんだ楽しくやってます。

前回の記事からだいぶ時間があいてしまった…。本当は年末年始の記事とかも書こうと思ってたんだけど、なんかまとまりきらなかったんだよね。

適当にだらだら最近思っていることとか書いていきたいな~と思います。やっぱり時間が経ってくるとどうしてもいろいろな人とつながりが薄くなってくる感覚があって、ちょっと寂しい感じがしてくるよね。ブログ記事はまぁ一方的ではあるけれでも、一種のコミュニケーション手段なのかなと思っていて、ちょくちょく書いていきたいね。

暇な人は読んでみてね。

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アナログ

ここ最近「デジタル」よりも「アナログ」に価値を感じるようになってきた。ここで言う「アナログ」「デジタル」というのは単にパソコンやスマホなどの画面上で表示されるとかそういった事を言うのではない。一言で言えば、規格化されているか否かと言う事である。

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持続可能な生き方

最近、生きていくことに対してのモチベーションが弱いことに気づいた。特に社会人になってからはこれが顕著である。これは確実に決まっているイベントがこの先にはなく、良くも悪くも自分次第だからではないかと思う。自分がやりたいこと、自分が得たいもの、これを将来に渡って見通してそれを欲していくこと。これがないために現在に対して何らモチベーションが湧かないのだと思う。つまり欲がない。

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拘束

年を経る毎にできることが限られる気がする。これは時間的にできないとか、物理的にできないとかという理由に依るものもあるが、多くは単に自分に向いていない、できない、やりたくない、嫌いといった感覚が阻害している。できないこと、やろうともしない事が増えていくことによって自分が何らか制限されているように感じる。実際、自分などまだ責任のあるものなんて少ないのに、全てを失っても良いと思いつつもだんだんと自分の行動の範囲が狭まっている感覚がある。

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砂糖菓子の弾丸

最近、桜庭一樹による「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」という小説を読んだ。小説を読むこと自体が大変久しぶりであったのも手伝ったのか、この小説の表現はどれもとっても美しく感じた。特に「砂糖菓子の弾丸」という表現が良かった。

「彼女はさしずめ、あれだね。”砂糖菓子の弾丸”だね」

「へ?」

「なぎさが撃ちたいのは実弾だろう?世の中にコミットする、直接的な力、実体のある力だ。だけどその子がのべつましくなし撃っているのは、空想的弾丸だ」

長い髪をかきあげて、友彦は楽しそうに微笑んだ。

…(中略)…

「その子は砂糖菓子を撃ちまくっているね。体内で溶けて消えてしまう、なぎさから見たらじつにつまらない弾丸だ。なぎさ・・・・・・」

——— 桜庭一樹「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」

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2022年、2023年

今年は去年に比べて圧倒的に早く過ぎ去った1年だった。就職という節目はあったものの、逆に言えばそれだけだ。漠然と変化のない日々に染まりつつあり、このまま無へと近づいていくのだろうか。それを決めるのは自分自身である。時間の流れは何かの変化を捉えることにより始めて知覚できる。西暦の数字が一つ積み上がるところでやっと時間の変化を捉えられるような変化のない生活とならぬようにしなければいけないなと感じつつ、今年も年末を迎える。

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2021年、2022年

1年の終わりだが、年々特別な感じはしなくなっている。明日はもう年が違うが、昨日に対する今日と今日に対する明日の時間的な距離は同じで、ただ人間がそこにラベル付けをして意味を持たせているだけと言えば、ただそれだけなんだけれども。でも定期的にこのような時間の進みを感じさせるような事があると、例えばこの日記のように過去を振り返るタイミングとして機能したりとか、そういったことができるので必要なことと思う。しかしながら、ラベルが切り替わるだけで実は別に何も起こっているわけではないんだよな。

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底辺職とは何か

自分はオフィスの清掃をバイトでやっているのだが、1年半ほど前に近くを通りかかった人から「何でこんな底辺みたいな仕事をしているの」と言われたことがある。あまりに唐突だったので何とも言えなかったのだが、答えを聞かずにその人は去って行ってしまった。未だにこの出来事が忘れられないのだが、単に不快だったと言うよりはその「底辺みたいな仕事」って何だろうと考えていた。その人曰く自分がやっていたような清掃に類するものであると思うのだが、何をもって「底辺」といっているのだろうかと不思議でたまらなかった。社会貢献性が乏しいから?賃金が低いから?誰でもできるから?

自分から言わせてみれば、いくら考えても底辺の職など存在しない。

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流れを止めて振り返る

文を書くことに意味はあるんだろうか。それを見つけるための試行作業と思ってみてもいいかもしれない。 今就活の真っ最中に居ながらにして迷ってしまい、やるべきことはあるのに何もやれずかえって暇な状態になってしまっている。「暇だけど暇じゃない」状態だ。そもそも、暇だと思うなら暇なはずなのだが、暇じゃないはずだと思うのは自分の置かれている環境からの圧力とも考えられるかもしれない。自分が暇かどうかぐらい自分で決められないのだろうか。うんざりする。

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