ここ最近「デジタル」よりも「アナログ」に価値を感じるようになってきた。ここで言う「アナログ」「デジタル」というのは単にパソコンやスマホなどの画面上で表示されるとかそういった事を言うのではない。一言で言えば、規格化されているか否かと言う事である。
例えば風景をカメラで撮ってその画像をスマホで表示する事を考える。このカメラで撮影するという行為を行う時、データ容量の制約やカメラのセンサの制約から風景をある範囲毎に分割して、さらにその範囲の色をデータとして表現できる最も近い色で近似する。そのような制約の下で作られた元の風景の近似が写真データとなり、スマホで表示されるのである。最近はこの近似のクオリティも格段に上がり、もはや人の目では近似されていることなど分からぬほどではあるが、どこまで行っても近似なのである。この際の元のもの、いわば自然がアナログであり、これを規格化して近似したものがデジタルである。デジタル画像、デジタル写真、デジタル音楽、デジタルな文字情報あらゆるものはパソコンやスマホで表示するために規格化されたものである。これにより通信に載せることができ、一定のクオリティで離れた場所でも表示する事ができる。
規格化される際に、様々な情報が失われる。文字では筆跡、絵画では絵の具の載せ方から人の感情が見えてくることがある。こういったもの全てを保存しているのがアナログの良さである。
規格化される際の差がもはや知覚できないほどの差であったとしても、アナログとデジタルの間には近似による差がある。近似のクオリティが上がりデジタルの表現が豊かになっても、どこまで行ってもアナログの表現の豊かさには及ばない。そしてこの差は知覚できなくても感じることがある。この差がなぜか分からないけど感覚的にこちらの方が良いといった判断に繋がるのだと思う。
アナログは面倒である。規格化されたデジタルの方が扱いやすく手軽である。例えば文字のやり取りにしても、メール、LINE、Slack・・・デジタルなやり取りが大半だ。だが、面倒であるからこそ、面倒でない手段がある中で面倒な手段を選んでこそ嬉しいという側面がある。このデジタルがあふれる時代で、アナログの良さが際立っているように思う。
個人的には、重要な場面で手紙を書くことが好きだ。このまま好きで居続けたい。