余白

前回の記事では、他人の課題にとらわれないように心に余白を作って、本来の目的を考えるべきだと最後に書いた。
この「余白」というものが、最近の私にとってのひとつのキーワードになっている。

余白というと、紙面や絵などの「何も書かれていない白い部分」をイメージしやすい。要は、使える領域のうち、あえて使っていない部分、余りのことだ。

要約(Gemini Nano Banana生成)

https://cdn.rpaka.dev/blog/2512/02/2512_02_margin-2512_summary.jpg

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なぜ私はSNSをあまり見なくなったのか?

最近、SNS、特に X を前より見なくなった。

結論から言うと、見ているだけで心がざわついたり消耗したりすることが増えたからだ。

理由は、不快な気持ちになることが多いから。いちいち不快に感じる発信をしているアカウントをミュートするのも面倒なので、そもそも投稿するとき以外は開かなくなった。

投稿する内容として X の方が良いものは X に投稿してるけど、本当の呟き的なものは micro.blog(と、自動クロス投稿を設定している Threads・Mastodon)で投稿するようにしている。まぁこれは、つぶやきデータの再利用性もあるのだけど。(X はもうちょっとオープンな API にしてくれ・・・)

別にムカついて X とサヨナラしたわけではなく、私の考え的にこのような使い方に落ち着いた、というだけの話にすぎない。そもそも人が何を発信してようが自由で、知ったことではない。私が不快に思う理由を整理すると、ムカつくというよりは「不思議に思うけれど、別に好きにしたらいいんじゃない」という感じ。

この「発信の捉え方」は、結構自分が大事にしてる考えがベースになってる。なので、一度なぜそう思うのか整理してみる。

要約(Gemini Nano Banana生成)

https://cdn.rpaka.dev/blog/2512/01/2512_01_margin-sns-2512_summary.jpg

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ネガティブな発信

Xをはじめ、自分に向けられたものでないとしても、否定、批判、悪口、嘲笑・・・とにかくネガティブなことが気になってしまう。

これらは一意見として発信すべきだ。そもそも多様な意見が何のしがらみもなく自由に流通しているのは健全なことだ。

ただ、単にある一面だけを取り上げた悪いことを指摘しているだけのネガティブな発信は思考停止の自慰行為であると言わざるを得ない。

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アナログ

ここ最近「デジタル」よりも「アナログ」に価値を感じるようになってきた。ここで言う「アナログ」「デジタル」というのは単にパソコンやスマホなどの画面上で表示されるとかそういった事を言うのではない。一言で言えば、規格化されているか否かと言う事である。

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持続可能な生き方

最近、生きていくことに対してのモチベーションが弱いことに気づいた。特に社会人になってからはこれが顕著である。これは確実に決まっているイベントがこの先にはなく、良くも悪くも自分次第だからではないかと思う。自分がやりたいこと、自分が得たいもの、これを将来に渡って見通してそれを欲していくこと。これがないために現在に対して何らモチベーションが湧かないのだと思う。つまり欲がない。

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拘束

年を経る毎にできることが限られる気がする。これは時間的にできないとか、物理的にできないとかという理由に依るものもあるが、多くは単に自分に向いていない、できない、やりたくない、嫌いといった感覚が阻害している。できないこと、やろうともしない事が増えていくことによって自分が何らか制限されているように感じる。実際、自分などまだ責任のあるものなんて少ないのに、全てを失っても良いと思いつつもだんだんと自分の行動の範囲が狭まっている感覚がある。

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砂糖菓子の弾丸

最近、桜庭一樹による「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」という小説を読んだ。小説を読むこと自体が大変久しぶりであったのも手伝ったのか、この小説の表現はどれもとっても美しく感じた。特に「砂糖菓子の弾丸」という表現が良かった。

「彼女はさしずめ、あれだね。”砂糖菓子の弾丸”だね」

「へ?」

「なぎさが撃ちたいのは実弾だろう?世の中にコミットする、直接的な力、実体のある力だ。だけどその子がのべつましくなし撃っているのは、空想的弾丸だ」

長い髪をかきあげて、友彦は楽しそうに微笑んだ。

…(中略)…

「その子は砂糖菓子を撃ちまくっているね。体内で溶けて消えてしまう、なぎさから見たらじつにつまらない弾丸だ。なぎさ・・・・・・」

——— 桜庭一樹「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」

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