年を経る毎にできることが限られる気がする。これは時間的にできないとか、物理的にできないとかという理由に依るものもあるが、多くは単に自分に向いていない、できない、やりたくない、嫌いといった感覚が阻害している。できないこと、やろうともしない事が増えていくことによって自分が何らか制限されているように感じる。実際、自分などまだ責任のあるものなんて少ないのに、全てを失っても良いと思いつつもだんだんと自分の行動の範囲が狭まっている感覚がある。
このような制限はいわば自分の思い込みによるものである。自分自身でそう思う場合もあるし、周りの雰囲気からそう感じる場合もある。できる、向いているというのは他人から評されることもある。そういう雰囲気、それっぽいというやつだ。だが実際の所、それは自分自身に対する意識により醸成されているように思える。自分ができる、向いていると思うことにより、それが表情などに表れ、そのような雰囲気になっていき、他人にそう評されることでフィードバックされ、それによって自分を認識する。自分自身に対する認知の積み重ね、これが自分を拘束する。
年が経つにつれて制限が増えていくように感じるのは、自分自身に対する認知の結果が溜まっていくためである。周りの雰囲気というのもそれに合わせて醸成されていく。ずっと同じ環境にいると、これはより顕著になるのではないかと思う。
制限を破壊するには、できない、向いていない、合っていないという思い込みを取っ払うことが重要であり、その為には認知を無視して突飛なことをする必要がある。このように考えれば考えるほど、内なる衝動をわずかながら感じることが増えてきている。これに従ってみるのも一興なのかもしれない。