なぜ私はSNSをあまり見なくなったのか?

最近、SNS、特に X を前より見なくなった。

結論から言うと、見ているだけで心がざわついたり消耗したりすることが増えたからだ。

理由は、不快な気持ちになることが多いから。いちいち不快に感じる発信をしているアカウントをミュートするのも面倒なので、そもそも投稿するとき以外は開かなくなった。

投稿する内容として X の方が良いものは X に投稿してるけど、本当の呟き的なものは micro.blog(と、自動クロス投稿を設定している Threads・Mastodon)で投稿するようにしている。まぁこれは、つぶやきデータの再利用性もあるのだけど。(X はもうちょっとオープンな API にしてくれ・・・)

別にムカついて X とサヨナラしたわけではなく、私の考え的にこのような使い方に落ち着いた、というだけの話にすぎない。そもそも人が何を発信してようが自由で、知ったことではない。私が不快に思う理由を整理すると、ムカつくというよりは「不思議に思うけれど、別に好きにしたらいいんじゃない」という感じ。

この「発信の捉え方」は、結構自分が大事にしてる考えがベースになってる。なので、一度なぜそう思うのか整理してみる。

要約(Gemini Nano Banana生成)

https://cdn.rpaka.dev/blog/2512/01/2512_01_margin-sns-2512_summary.jpg

不快に感じる投稿の内容

こういう投稿は、TL に流れてくると見た人を嫌な気持ちにさせる。わざわざ嫌なことを考えさせられたり、気分が沈んだりする。

そして、そういう投稿を続けることは、本人の時間や気力を「幸せになれない方向」に使い続けることにもなると思っている。

例えば以下のようなもの。

  1. 改善提案のない単なる悪口・批判・文句
  2. ネガティブな内容の垂れ流し
  3. 他人の言動・他人の課題への過剰な注目
  4. 自分の裁量ではどうにもならないことへ延々と言及すること

ただし、上でも書いた通り発信は自由であり、受け取る側も自衛すべきだと思っている。だから私は、投稿するとき以外は開かない・見ない、という形で距離を置くことにした。発信する側も、それを受け取る側も、最終的には自分の時間と気力の使い方に責任を持つしかない。

前提:生存の目的は楽しく生きること

ここから先はあくまで、私がこれまで見聞きした中で、生きてきた中での価値観にもとづく考え方にすぎない。

前提として、生きることに何不自由ない状態である(つまり生存そのものが目的ではない)以上、生きる目的は「自分が楽しく生きる」ことに尽きると思う。

楽しくないことに注目するより楽しいことに注目した方がよくない?

悪口・批判・文句。これらは改善の種になるわけだし、率直な意見が自由に流通する状態こそが良いものを生み出すのは間違いない。

ただそれは、改善につなげるという意識のもとに行われなければいけないし、それを受け取った側の気持ちも考えて表現に配慮する必要がある。これを意識しているとは思えない投稿が、あまりに多い。

今の悪い状態ばかりに注目するよりも、それが良くなった状態を想像して、そっちに目を向けた方が楽しくないかな?と思う。

あとネガティブな内容の発信について。共感を求めるとか気持ちの整理になる面は確かにあるのだけど、それを延々と続けても幸せになれないんじゃないかな、と思う。

自分がネガティブに思うこと、楽しくないことに囚われて注目して精神をすり減らすよりも、自分がポジティブに思えること、楽しいと思うことに注目したほうがいい。

ネガティブなことを発信し続けると、投稿として書き起こすときや、TL で自分の投稿を見たときに、より意識づけられちゃうし。

他人の課題より自分の課題、他人駆動より自分駆動の方がよくない?

自分がコントロールできるのは自分の言動・考え方だけ。他人の言動・考え方は誘導はできても、他人である以上、最終的にどうするかはその人次第。

自分がコントロールできる範囲かそうでないか、自分の課題なのか他人の課題なのか。それを常に考えていれば、イライラするということはない。

他人の課題についてあれこれ言ったところで、コントロールできるものでもない。だから自分の課題に注目して、どのような行動をしたら自分が楽しく生きられるか、自分のコントロールできる範囲で考えた方がいいんじゃないかなと思う。

あとは、他人が〇〇してるから、とか。他人を主語、他人を動機にするんじゃなくて、自分を主語、自分を動機に置いた方が良い。

自分が本当に楽しいと思うか、自分がどうしたいのか。他人はコントロールできない以上、他人を動機に置いていては他人に振り回されてしまう。

余白をもって生きよう

ネガティブなことに対する不快な感情、コントロールできない他人の課題への執着・・・ここから生み出されるエネルギーはとても大きくて、囚われてしまいがちだと思う。それしか見えず、いわばゼロ距離でガン見している状態になりがちだ。

一旦それを自覚し、心に余白をつくり、本来の目的——自分がしたいことのためになるのかを考えた方がいいんじゃないかなと思う。

ここでいう「余白」は、感情や他人の課題にゼロ距離で囚われないための、心の距離(スペース)のこと。

だから私は SNS をあまり見なくなった。それが私にとって、余白を作ることだから。

これは自分の生きる本来の目的のための一つの付き合い方にすぎない。